2013/05/23

ラーフラから逃れないと --කොහොමහරි මේ රාහුලයාගෙන් මිදෙන්න ඕන​.

 シンハラ語小説、කන්දක් සේමා(Kandak Sema、山の如し)では中絶が重要なテーマとなっている。主人公ヌーパーは、スリランカで一度、日本で一度中絶を行う。

 ヌーパーは17歳の時にジャヤナータという青年と肉体関係を持ち、妊娠する。その前に ヌーパーの姉、チャンダナーも恋人のラニルの子を宿す。ラニルは中絶させようとするが、周囲の協力もあり、結婚にこぎつける。だが、ヌーパーは家族に打ち明けることができない。
 ヌーパーは思う。

තාත්තට​, අම්මාට චන්දනක්කා දීපු දුක ඒ විදිහටම දෙන්න බෑ. කොහොමහරි මේ රාහුලයාගෙන් මිදෙන්න ඕන​. මේක මහා දුකක්, බැඳීමක්. මේ බැඳීමෙන් මම මාව ගලව ගන්න ඕන​.  (p. 21)
「チャンダナー姉さんが与えたのと同じ苦しみをお父さんとお母さんに味わせるわけにはいかない。どうにかして、ラーフラから逃れないと。大きな苦しみ、足枷。この枷から自由にならないといけない」

 ここでラーフラ(රාහුල​)というのは、後にブッダとなったシッダールタ王子(සිද්ධාර්ථ)と妃ヤソーダラー(යසෝධරා)との間に生まれた子供の名前である。ラーフラはシッダールタが家族を捨てて出家する直前に生まれた。シッダールタは我が子の誕生の知らせを遠くで聞き、こう言ったという。

රාහුලයෙක් උපන්නා
බැම්මක්(බැඳීමක්) ඇති වුණා

「ラーフラが生まれた。枷ができた」

 子供は出家をする身においては束縛となり、妨げとなる。それでも、子を捨て、妻を捨て、出家しなければならない。このラーフラという言葉が転じて、束縛、障害の比喩として用いられる。

 ヌーパーはお腹に宿った命の軛から逃れようと、もがき苦しむのである。

2013/05/19

一線を越える -- දැන් ඉතින් උඹ සළු වුණා.

 ベストセラー小説කන්දක් සේමා『山の如し』は、男性中心主義的な社会を女性の視点から描く小説だ。

 主人公ヌーパー(නූපා)は10代の頃につき合ったジャヤナータ(ජයනාථ​)と肉体関係を持つ。その時に生じた関係の変化がヌーパーの視点から次のように描かれる。

ජයනාථ බලාගෙන හිටියේ, 'හොඳ වැඩේ උඹට​' කියනවා වගේ. දැන් ඉතින් උඹ සළු වුණා. මට යටත් නේද කියන හැඟීම ඒ ඇස්වල තිබුණා. (p.20)

「ジャヤナータは私を、’とんでもないことになったな、お前’というような目で見ていた。もうこれから、どうとでもなるよ、お前。その目には、自分が下なんだという感情があった」

 文中のシンハラ語の表現でසළු වුණාというのがある。これはゲームの言葉から来ている。ルール上、プレイヤーは自分の動けるゾーンが決まっているが、点数をあげればそのゾーンの制限が緩くなり、自由に動ける範囲が他の人よりも広くなる。

 この概念が女性の社会生活上の領域に使われるとどうなるか。 処女であったからこそあった制約がなくなり、どこにでも自分で自由に行けるようになる。しかし、これは肯定的な意味で用いられるのではなく、否定的な意味で用いられるのである。

 肉体関係を持ち、処女を失うことで境界を越え、これまでとは異なる領域に入る。処女性に価値を置く社会においては、 処女を守るように奨励され、処女である女性が守られる。ところが、処女ではなくなった女性は処女である女性よりも価値が低く見られる。肉体関係を持つ前は、相手の言いなりにはならなかったのが、持った途端に相手の言いなりになってしまう状況に置かれるのである。

 肉体に生じた変化は、その人間の社会的関係を変え、更に対人関係を変えてしまう。ジャヤナータが自分を見る眼差しに自分がどういうゾーンに入ったのかを知るのである。




2013/05/16

甘い顔 -- තාත්තාත් කාටවත් නොපෙන්නන බුරුලක් රංගනට පෙන්නුවා.

 日本語には「甘やかす」「甘え」といった概念がある。これは味覚を表す概念が人に対する態度に転化したものである。こうした概念をシンハラ語ではどのように表現するのか?

 シンハラ語のベストセラー小説කන්දක් සේමා(カンダック・セーマー、山の如し)に主人公ヌーパー(නූපා)の弟、ランガナ(රංගන​)に対する両親の態度が描写されている箇所がある。

තාත්තාත් කාටවත් නොපෙන්නන බුරුලක් රංගනට පෙන්නුවා. (p.18)

「父も誰にも見せないような甘い顔をランガナには見せていた」

බුරුල​というのは、緩さという意味を表す言葉で、きつさ、厳しさに対立する言葉である。緩さというのは、ものと境界との間に隙間があり、余裕がある状態である。この物理的な意味が態度に転化して用いられる。つまり、ある基準から見ると物理的に余裕があるという意味が、ルールの適用を緩めるという意味に用いられるのである。

他にグーグル検索すると以下のような例がある。

[犯罪に対する当局の態度]
කප්පම් කල්ලිවලට කිසිම බුරුලක් නෑ.(http://www.dinamina.lk/2011/04/07/_art.asp?fn=n1104072)
「ゆすりには断固とした処置をする」

[男性と電話でしゃべっていた孫娘を見たおばあさんが叱る]
හිතන්න එපා ඕවට අප්පච්චිගෙන් බුරුලක් ලැබෙයි කියලා..  (http://www.silumina.lk/2010/05/30/_art.asp?fn=av1005301)
「こういうことはお父さんに大目に見てもらえるだろうなんて考えないことね」

[警官に対して相手にされたことについて抗議する]
රාළහාමි ඕකට කිසි බුරුලක් දෙන්න එපා! උපරිම දඬුවම ඕනා!! (http://mage-lokaya.blogspot.jp/2011_01_01_archive.html)
「警察はこんなことに対して絶対甘い態度を取ってはだめですよ。一番厳しい刑で罰さないと」