1997年のプラサンナ・ウィターナゲー監督の映画"
පුරහඳ කළුවර"(『満月の闇』、英語タイトル"Death on a Full Moon Day"、邦題『満月の日の死』)には、スリランカの内戦で政府軍兵士として命を落とした弟の3か月目の供養をどうするかについて話し合う場面がある。
スリランカの仏教では、3か月目の追善供養は重要である。死後、次の世に生まれるまでの移行状態にある死者は、功徳を積むことができないので、死者に代わって、家族が僧侶を呼び、功徳を積み、その積んだ功徳を死者に転送することで、死者がよりいい世界に生まれ変わるようにするのである。
しかし、現実問題、供養を行うには何かとお金がかかってしまう。その算段をどうしようかと家族が話し合う。
"දොරමඩරාව පන්සලින් කී නම ද, නංගී?"
"දොරමඩරාවෙන් දෙ නමයි. ගලේ පන්සලින්
තුන් නමයි."
"ඔක්කොම පස් නමයි. පස් නමකට පිරිකරයි, අට පිරිකරයි එන කොට රුපියල්
එක්දාස් පන්සීයක් විතර යාවි."
"සෑහෙන ගාණක් යනවා, එහෙනම් ඒකටම."
"ඔව්. මං අපේ පන්සලින් අට පිරිකර
ගේන්නම්. එතනම ලොකු බරක් අඩු වෙනවා නෙ."
"ගමේ කට්ටිය කොහොමටත් එකතු වෙන කොට පනහක්වත් වෙයි."
"ලියා ගන්න පනහක් කියලා."
"හාල් කොච්චර විතර ලියන්න ද?"
"කිලෝ දහයක් විතර? මං මාලු ටික ගේන්න ත්රිකුනාමලෙන් එන ලොරියකට කිව්වා."
"ඒකට කීයක් විතර යයි ද?"
"දාහක් විතර යාවි."
"එහෙමනම් සෑහෙන ගාණක් එකතු වෙයි නෙ."
"ඔව්. ඔක්කොම එකතු වෙලා යන කොට, හත් අට දාහක් යාවි."
「ドラマダラーワ寺院から何人お坊さんが来るんだ?」
「ドラマダラ―ワ寺院からは二人。岩の寺院からは3人」
「全部で5人。5人分のアタピリカラとなると、1500ルピーぐらいかかるだろうね」
「大変な金額になるのね、それだけで」
「うん。だから、自分とこの寺からアタピリカラを少しお金を払って持ってくるよ。寺もその分、たまっているアタピリカラも減るだろうし」
「村の人達はとにかくみんなで50人にはなるだろうね」
「50人って書いて」
「米はどのぐらいって書こうかしら」
「10キロぐらいかな。魚はトリンコマリーから来るトラックの運転手に持ってくるように言ってあるよ」
「いくらぐらいかかるかしら」
「1000ルピーぐらいかな」
「それじゃ、大変な額になるわね」
「うん。全部足すと7000か8000ルピーかかるよ」
පිරිකර(ピリカラというのは、必需品という意味で、
අට පිරිකර(アタピリカラ)というのは、僧侶の8つの日用必需品という意味である。8つとは、
පාත්රය(托鉢の鉢)、
සිවුර(僧衣)、
අඳනය(僧衣の下着で腰に巻く布)、
බඳ පටිය(ベルト)、
නූල(糸)、
ඉඳිකටුව(針)
දැළිපිහිය(刃)、
පෙරහන්කඩ(水を濾過するための布)である。
このアタピリカラは、僧衣の生地の質によって金額がいろいろあるが、結構な金額となる。2012年8月にコロンボのマラダーナの一角に寺関係のものを扱っている店が何軒かあり、そこを訪れてみた時には、数千ルピー(4000、5000ルピー)していた。結構な値段がするので、庶民にとっては大問題となる。
一方、寺もたくさんアタピリカラをもらうので、必要以上にたまっていってしまう。また、現代社会の生活に必要なものを購入したりするのにお金が必要となる場面があるが、僧侶には現金収入がないので、そのお金をどう工面するかが問題となる。
さあ、困ったということで、 両者の困った問題に対処するのに、寺にあるアタピリカラを再利用する方法がとられている。つまり、新しいアタピリカラを業者から買うのではなく、寺に行って、余っているアタピリカラを安く譲ってもらうのである。こうすれば、お金のない人は助かるし、寺も不必要なアタピリカラが処分できて(といってもまた巡り巡って戻ってくるかもしれないが)、現金が手に入るのである。
功徳の転送にはこの世の営みが深く関わってくるのである。