2013/06/27

ワンクッション入れるシンハラ人の忠告の仕方 --මම ඔයාගෙ පෞද්ගලිකත්වයට ගරු කරනවා. ඒත්

 相手に忠告する場合には、直接的な表現で言う方法もあれば、間接的な方法もある。ここではワンクッション置いて、忠告するシンハラ語の表現を紹介する。
 次の会話は、姉である相手のプライバシーに触れる問題について忠告することを目的とする。いきなり、個人的な事情について忠告してはまずいので、まずは相手のプライバシーを尊重しているという一言を入れ、ワンクッションを置く。それから、ඒත්(だけど) という反対の言葉を入れることで本題に入っていく。

'මම ඔයාගෙ පෞද්ගලිකත්වයට ගරු කරනවා. ඒත් වෙන ගෑනියෙකුගෙ මිනිහෙක් ගේ ඇතුලෙ දාගෙන ඉන්න එපා. ඒක වැරදියි' (දුල දුලාය, p.164​)


「プライバシーは尊重するよ。だけど、他の女の男を家の中に連れ込むなよ。間違っているよ」

2013/06/24

シンハラ人の躾 --අපේ තාත්තා අපට උගන්නලා තිබුණෙ වෙන කෙනෙක් කතා කරනකොට කට දාන්න එපා කියලා

 シンハラ人が子供をどのように躾けるのかということが垣間見られる文章がある。

කවුරු හරි කතා කරනකොට කට දාන පුරුද්දක් බිම්සාට නැහැ. අපේ තාත්තා අපට උගන්නලා තිබුණෙ වෙන කෙනෙක් කතා කරනකොට කට දාන්න එපා කියලා. ඒක ලොකු අස්වැසිල්ලක්. (දුල දුලාය​ Dula Dulaya, p.40)
「人が話しているときに口をはさむようことをビンサーはしない。父が私達に教えてくれたのは、人が話しているときに口をはさんではいけないということだった。それは人をとても安心させるものなのである」

人の話にまず耳を傾けるということ。父はなぜそういうことを教えてくれたのか、子供の時わからなくても、成長する過程でやがてその意味を知るのである。

2013/06/10

腹とホンマ --අපි බොක්කෙන්ම ලාංකිකයි.

 様々な言語で身体部位を用いて感情が表現される。シンハラ語では「腹」を表す言葉を用いて心の本気度を表す若者言葉がある。

 以下の例はサイトで使われているもの。
කොල්ලා බොක්කෙන්ම ආදරේ කලේ කෙල්ලට පණටත් වඩා ආදරේ නිසා.
「男の子が心の底から女の子を愛したのは、自分の命よりも大切だったからだ」

本気度の高さを表すことから、強調表現としても用いられる。
අපි බොක්කෙන්ම ලාංකිකයි.
「ホンマのスリランカ人やで」

බොක්කෙන්ම මිතුරෝ
「ホンマの友達」


2013/06/06

දැන් は「今」か? --දැන් මෙතන හිටියා.

 シンハラ語の初心者は日本語の「今」という言葉をシンハラ語ではදැන්と習うだろう。日本語で言う「今」というのは、文を話すその時を示す。

 現在国営放送局Rupavanihiで放映されているテレビドラマ"A/Lඉවරයි"(「Aレベル試験が終わった」)に次のようなදැන්の使い方がある。

【演劇の練習中。出席していなかったはずの女性がいつのまにかクラスの輪の中に座っているのを講師が見咎めて聞く】
"මෙයා කොහෙන් ද මෙයා ආවෙ? Um. කොහේ ඉඳලා ද ආවෙ?"
"හිටියා සර්, මෙතන."
"හිටියා?"
"කොහෙද හිටියෙ? කොහෙද හිටියෙ?"
"දැන් මෙතන හිටියා."            "A/Lඉවරයි" 29話

「君はどこから来たんだ?う。どこから来たんだ?」
「いました、ここに」
「いたって?」
「どこにいたんだ?...どこにいたんだ?」
「さっきからここにいました」

"දැන් මෙතන හිටියා."
という文はこの文を発っする少し前から話し手がここにいたということを意味する。この文を発した女性が言いたいのは、最初からそこにいた、最初から出席していたということである。

日本語で「今来た(ばかり)」という場合、この「今」というのは発話時に対して直近のことであるが、日本語の「今」よりも更にシンハラ語のදැන්のほうが発話時よりも少し離れた過去を表すことができる。

දැන්は「今」か?との問いに、「今でしょ」と答えるのは必ずしも正しいとは限らないのである。