【弟夫婦に赤ちゃんが生まれたので、病院にやってくる姉二人。赤ちゃんが女の子だと知り、がっかりする。腕に抱いて姉二人が言う】
"මල්ලි වගේ පාට නෑ, නේද?"
"ඔව් අනේ, මල්ලි වගේ නැහැ
නෙ." (『婚家』කුලගෙය Kulageya)
「弟みたいに白くないよね」「そうね、弟みたいじゃないね」
ここではසුදු පාට(白色)とは言わず、සුදු(白)という言葉を省略しても、පාට(色)という言葉だけで「白色」という意味が表される。なぜ白色と言わずに、白と理解されるのであろうか。
例えば日本語で、「結果が出せるようにがんぱります」とスポーツ選手が言うと、「結果」というのは悪い結果ではなく、いい結果だと理解される。 仕事の性質上求められているのは、当然悪い結果ではなく、いい結果であるということが前提となっている。従って、「いい」という言葉を言わなくても理解されるのである。
さて、上のような肌の色が問題となる場面においては何が前提とされるのか。シンハラ人の価値観では、肌の色が黒よりも白のほうが好まれるのが一般的である。従って、「色」という言葉を言うだけで、「白色」だと理解されるのである。
次例も同様の例。
සෝමේ ගමේ කාටත් වඩා පාටය. (『灯明』ඉටි පහන් Iti Pahan)
ソーメーは村の誰よりも色白だ。
ところで上記の映画では実際は、姉の弟の肌は赤ん坊より浅黒い。実は、二人の姉は弟の嫁をよく思っていない。直接相手に言わずに赤ちゃんを利用して間接的に相手を揶揄しているのである。
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