この動詞は、書いてあるものを読むという意味以外にも様々な意味で用いられる。
文章を読むという行為は、順番に書いてあることを読みながら、その人のこれまでの経験で知っていることに基づいて次に来る言葉や内容を予測しながら理解していく過程である。同様に行動についても、それまでの相手の行動に関する知識に基づき、相手の次の行動を予測し理解することができる。次の例では、相手の行動や心を読むという意味を表す。
[ご飯を食べるときにウィルソンが持ってきてほしいものが何かを予測したら、その予測通りのものをウィルソンが頼んできたという場面]
"අනේ බං කෙල්ලෙ, මේ මට ඔය ලූනු ගෙඩි දෙක තුනකුයි මිරිස් කරල් තුන හතරකුයි අරගෙන වරෙන් කෝ."
"දැක්කා ද? මට Wilson අයියාගෙ හිත
කියවන්ඩත් පුලුවන්."
"ඒ හැබෑව." එක්ටැම් ගේ 1「なあ、あの、ニンニク2,3個と唐辛子3,4本持ってきてくれよ」
「どう。私はウィルソン兄さんの心が読めるのよ」
「本当だ」
「読む」という行為は、自分の持っている知識に照らし合わせながら、書かれているものを理解していく過程だが、必ずしもそれがうまくいくとは限らない。例えば、文章の内容が理解できないくらい難しい場合はそれに当てはまる。この場合は、自分自身の読解能力の問題となる。次例は文章が難しく読みこなせない場合。
"සිංහලෙන් තිබුනට කියවන එක ලේසි නෑ." 『マリー』122話
「シンハラ語で書かれていても読むのは簡単じゃない」
また、前後の文脈から相手の言っていることが意味をなさず、理解できない場合もある。この場合は、自分の理解する能力に問題があるのではなく、相手に問題があることになる。そうなると、否定的なニュアンスが出てくる場合がある。次例では、'කියවනවා'が声に出して話す行為を指している。
[記憶を失った患者についてマリーがディンギリに話す]
"අම්මා, අර නෝනා මොනව මොනවදෝ කියවනවා. මේ, ඒ යාලුවො,
මේ යාලුවො." 『マリー』152話
「お母さん、あのおばさんが何かぶつぶつ言っているんだけど、その友達とか、この友達とかって」
同様に痛みで苦しみ呻いている状態についても使われる。この場合、話す行為を全くコントロールできず、口から出てくるのは意味をなさない声となる。
[マリーに硫酸をかけようとした男の一人がディンギリのところへ許しを求めにやってくる場面]
次の例も正常な状態にはない人が意味のないことを話す場面。
"දැන්
මිනිහා පිස්සුන් වගේ කියවන්න ගත්තොත් අපි ගැන සේරම කියයි ද දන්නෑ."『マリー』308話
「あいつが狂人のように何かしゃべりだしたら我々についても全て言ってしまうかもしれないな」
同様に痛みで苦しみ呻いている状態についても使われる。この場合、話す行為を全くコントロールできず、口から出てくるのは意味をなさない声となる。
[マリーに硫酸をかけようとした男の一人がディンギリのところへ許しを求めにやってくる場面]
"අනිත් එකාට නැගිට ගන්ඩ බෑ. ඇඳෙ. කකුලකුත් පණ නෑ. විකාරෙන් කියවනවා. අනේ සමා වෙලා, වෙද නෝනා, හොඳ කරලා දෙන්ඩ, යාළුවාව." 『マリー』258話
「彼は起き上がれないんです。ベッドの上です。足も感覚がありません。うんうん呻いているだけです。どうか、お願いですから、治していただけませんか、友達を」[自分の親戚が亡くなったということで村で噂になっている。その情報元が村一番の情報通でおしゃべりおばさんであるという場面]
"දැං ඔය කොහෙද කොලඹ මලගෙදර තියෙන්නෙ?"
"මේ, මහත්තයාට කවුද කිව්වෙ?"
"සිරියා කඩේ ලඟදී කියවලා තියෙනවා." 『マリー』177話
「それでコロンボのどこで葬式があるんですか」
「あの、誰に聞いたんですか」
「スィリヤーが店先でべらべらしゃべっていましたよ」
「チットラーンガニーおばさんに私のことは話していないでしょうね。私もマドゥランギーと一緒に(盗まれた)貴金属を持ってきましたから」
「いや。そんなこと、しゃべったりしないわよ」
「それは助かりました」
怒っている人は、自分自身をコントロールできず、相手かまわず一方的にしゃべりまくる。 そういう相手に対しても'කියවනවා'が用いられる。次の例はそのような例。
[ウックワが村の人を扇動してディンギリの家に火をつけようとしたことに対して、ディンギリがウックワに文句を言う]
"මේ, දැන් උඹ කියවලා ඉවර ද?"
"නෑ. උඹට කියවන්ඩ තව දේ
තියෙනවා."『マリー』399話
「なあ、もう言いたいことは終わりか」
「いや。お前に言わないといけないことはまだある」
相手の言っている内容が自分の知っていることとつじつまが合わないために理解できず、信じられないとき、相手の発言に対して 'කියවනවා'が用いられる。この場合、何を馬鹿なことを言っているのかというニュアンスがある。
[ディンギリが行方不明の老婆の殺人犯の濡れ衣を着せられている場面。ニルマールはディンギリが殺人を犯すような人ではないと思っている]「あの、誰に聞いたんですか」
「スィリヤーが店先でべらべらしゃべっていましたよ」
否定形と一緒に用いられると、相手にとって知られたりしてはまずいことはべらべらしゃべったりしない、ばらしたりしないという意味が出てくる。それが次の例。
"මේ, ඔයා චිත්රාන්ගනී ඇන්ටීට මං ගැන කිව්වෙ නෑ නෙ. මොකද, මාත් මෙයාත් එක්ක රත්රන් බඩු
දෙන්න ආවා නෙ."
"නෑ නෑ. මං ඕව කියවන්න ගියෙ
නෑ."
"ලොකු
දෙයක්." 『マリー』394話「チットラーンガニーおばさんに私のことは話していないでしょうね。私もマドゥランギーと一緒に(盗まれた)貴金属を持ってきましたから」
「いや。そんなこと、しゃべったりしないわよ」
「それは助かりました」
怒っている人は、自分自身をコントロールできず、相手かまわず一方的にしゃべりまくる。 そういう相手に対しても'කියවනවා'が用いられる。次の例はそのような例。
[ウックワが村の人を扇動してディンギリの家に火をつけようとしたことに対して、ディンギリがウックワに文句を言う]
"මේ, දැන් උඹ කියවලා ඉවර ද?"
「なあ、もう言いたいことは終わりか」
「いや。お前に言わないといけないことはまだある」
相手の言っている内容が自分の知っていることとつじつまが合わないために理解できず、信じられないとき、相手の発言に対して 'කියවනවා'が用いられる。この場合、何を馬鹿なことを言っているのかというニュアンスがある。
"මේ, ඒකට මේ, වෙද නැන්දාව තමයි සැක කරන්නෙ"
"මොනවා? පියරත්න, මොනවා ද මේ, කියවන්නෙ?" 『マリー』392話「あの、その殺人について、あの、お医者さんが疑われてるんですよ 」
「何だって。ピヤラトナ、一体、何を言っているんだ」
自分の知っていることや信じていることと整合性のないことを相手が言う場合、それを全く信じないときには、相手の話すことは受け入れることはできないものである。
[行方不明の弟が生きていると言う相手に対して、それは嘘だと言って非難する場面]
"මං මේ ගොල්ලන් ගෙ ගෙදර
ගිහිල්ලා කෑගහනවා නෙ. ඒකට බය වෙන්ඩ ඇති. දෙන්නාත් එක්ක බොරු කොටාගෙන මෙහෙ කියවන්නෙ." 『マリー』396話
我々は既知の情報に基づき、新しい情報を読み解いている。しかし、必ずしもうまくいくとは限らない。我々は、自分の知っていることや信じていること、それらと新しく知ったこととの間にズレが生じる場合がある。そのとき、我々はどのような態度を取るのであろうか。そのズレを調整するのに、自分の認識に問題があるとするのか、自分以外のほうに問題があるとするのか、それとも、そのどちらでもないのか。いずれにしても、我々の認識の齟齬の有り様を 'කියවනවා'という動詞の使い方をいろいろ調べてみることで、うかがいしれるのである。
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