休憩所がよそ者の居場所になっているのは、ある日休憩所にいる婆さんのところに一人の男の乞食がやってきた場面からもわかる (『マリー』第349話)。
"මට බඩගිනි. ඔය කෑම නේද? මට දීපන් ඕක. දවස් ගානකින් බත් ගැටයක් දැක්කෙ නෑ."
"උන්නහැ කොයි පලාතෙ ද?"
"මං පදවියෙ."
"ඉතින් මෙහේ ආවේ?"
"එහෙ හිඟමන් නෑ. මම අනුරාධපුරෙ බස් stand එකෙ හිටියෙ."
「腹減った。それはめしかい。くれよ。何日もめしを見てないんだ」
「どこの人だい」
「パダビヤ」
「で、ここに来たのは?」
「あそこは乞食ができなくて、アヌラーダプラのバスセンターにいたんだ」
更に乞食は言う。
"ලොරියෙන් ආවෙ."
"ලොරියෙ ඇත්තො කන්න දුන්නෙ
නෑ?"
"දුන්නා."
"එහෙනම් දවස් ගානකින් බත්
ගැටයක් දැක්කෙ නෑ කිව්වෙ?"
"පුරුද්දට."
「トラックでこっちへ来たんだ」
「トラックの人たちは食べさせてくれなかったのかい」
「食べさせてくれた」
「じゃ、何日もご飯を見ていないって言ったのは?」
「いつもそう言うからさ」
乞食は食事にありついていても、何日も食べていないと、いつもの癖"පුරුද්දට"で言ってしまう。そして、乞食が住みやすいところか聞く。
"මේ හිඟමන් හොඳයි ද?"
"මිනිස්සු හොඳයි."
「ここは乞食でやっていけるかい」「いい人たちだよ」
休憩所には甕に水もある。
"ඕක කාලා අර මුට්ටියෙන් වතුර ටිකක් අරන් බීපන්."
「それを食べたら、ほら、甕に水があるから、飲みな」
人の寄り付かない休憩所"අම්බලම"は身寄りのない人や乞食にとっては雨露をしのげる場所であり、情報交換のできる場所であることが伺える会話である。
この休憩所については渋谷利雄氏の『スリランカ現代誌』(彩流社)に詳しくその役割が書かれている。 それによると、村内部においては村民同士の様々な活動の場としての役割を持つとともに、コミュニティーの外部とをつなぐ一つの結節点としての役割を持っているようだ。
そうすると、このドラマでは休憩所は、村内部の社交の場としての機能は失い、よそ者が寝泊まりをし、村内部の人と接点を持つための周辺的な場所として機能しているのかもしれない。
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