2012/06/18

占星術 ග්‍රහයෝ නීච වෙන කාලෙ

人の人生はうまくいくときもあればうまくいかないときもある。そうした人生の浮き沈みに影響を及ぼすものとして星が関係すると考える思想がある。

『マリー』(第2話)に大臣のハンダパーンゴダと医薬品製造業社長のラージャラトナのやり取りに以下のがある。

හඳපාන් ගොඩ:ලෝකෙ ග්‍රහයෝ කී දෙනෙක් ඉන්නවාද​?
රාජරත්න​:ඇමතිතුමා, නමයයි නෙ.
හඳපාන් ගොඩ:නමයයි? අන්න ඒ නමයයි. ඒ නමය​ නෑදෑයෝ සෙට් වෙලා තමයි තමුසෙට නීච වෙලා තියෙන්නෙ.

「世界には惑星がいくつありますか」
「大臣、9つですね」
「9つ。 そう、その通りです。この9つの親戚が一緒にみんな、あなたの場合、落ちているんですよ」

ここでは惑星全部がよくないと言って、相手を皮肉っている。

現代の天文学とは異なるが、占星術でいうග්‍රහයෝ(惑星)というのは9つで、太陽(රවි), 月(චන්ද්‍ර)​,火星( කුජ=අඟහරු))​, 水星(බුධ)​, 木星(ගුරු), 金星(ශුක්‍ර=සිකුරු)​, 土星(ශනි=සෙනසුරු), ラーフ(රාහු)、 ケートゥ(කේතු)である。

ラーフとケートゥは実は天体ではない。悪魔であるラーフが不老不死の命の水(nectar)を飲もうと変装し忍び込んだところ、ヴィシュヌ神に見つかり、頭部と尻尾に切られてしまった。その頭部をラーフ、尻尾をケートゥと呼ぶ。ラーフはその体により太陽と月の光を遮り、日食と月食を引き起こすと考えられている(ラーフとケートゥについてはhttp://jyotisharavi.blogspot.jp/2010/11/solar-moon-eclipses-happen-because-of.html参照)。

文法について言うと、惑星の数を聞くのに、දෙනෙක්(~人)が用いられている。これは通常、人に関して用いられる類別詞で、日本語の類別詞「~人」に相当する。命あるものの存在に"ඉන්නවා"(いる)がないものに"තියෙනව​"(ある)が使用される。人に用いられる類別詞と動詞が惑星にも使えるのは、興味深い。

同じく第2話。
හඳපාන් ගොඩ: කේන්දරේ ගෙනාවාද​?
රාජරත්න​: නෑ, ඇමතිතුමා.
හඳපාන් ගොඩ: මොකද කේන්දරේ ගෙනාව නම් තමුසෙගේ මේ මනුස්සයාට කියලා බලවන්න පුලුවන්. ග්‍රහයෝ නීච වෙන කාලෙට තමයි නරක කාලෙ උදා වෙන්නෙ.

「天宮図を持ってきましたか」
「いえ、大臣」
「いや、持ってきていれば、あなたの天宮図をこの人に占ってもらえたのに。惑星が悪い状態のときというのは、悪い時期が訪れているということなんですよ」 


大臣はラージャラトナの天宮図がどうなっているかは知らないが、星の話を持ち出して相手を口で攻撃し皮肉っている。


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